BIOGRAPHY

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CHARITO

チャリートがジャズを歌いはじめた頃は、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、ダイナ・ワシントン、カーメン・マクレエといった偉大なヴォーカリストを熱心に聴いていたが、その中でチャリートの心を強くとらえたのは、一番温かな感じがしたサラだった。飾り気がなくて自然に歌っている、それでいて格好いい、そういうサラ・ヴォーンに大きな影響を受けた。

「ある時、最初のCDをリリースする前のこと、六本木の『ボディ&ソウル』で山本剛さんの伴奏で歌っている時、たまたま来日していたサラ・ヴォーンがひょっこり遊びに来て、客席で私の歌を聴いていたんです。はじめ私は気がつかなかったけど誰かが、『サラが来ている』というのでびっくりしたんです。とても光栄なことですから『いま客席に偉大なサラ・ヴォーンが来ています』って紹介したら、何とサラが立ち上がって、そのままステージに上ってきちゃったんです。私はもう心臓がどきどきしちゃって、どうしていいか分らなかったんですけど、サラが、『一曲一緒に歌いましょう』といって<オン・ア・クリアー・デイ>を一緒に歌ってくれたんです。私はもう喉がカラカラに乾いちゃって声も出ない状態だったけど、ものすごく感激しました。すごく幸せな経験でした。」

またナンシー・ウィルソンもチャリートの歌を聴いて、「”The first time I heard Charito, I physically and emotionally embraced her and thought myself BEAUTIFUL, that came from the heart and the soul. She has a warm way of presenting a song and she represents what a singer really is, a song stylist.”って言って、すごく誉めて下さったんです。偉大な先輩から音楽に対する大きな愛を貰って、私はいつまでも勉強しながらひととこに留まらないで前進し続けようという気持ちにさせられたんです。」とチャリートは語る。

チャリートの印象的で力強い歌唱力は、スタンダードジャズからアップビートなファンクな曲まで、ジャンルが圧倒的に広い。また、きびきびしたその歌い方は、幅広い層の人々の心をがっちりつかんでいる。

ステージでの彼女の感情のこもった豊かな表現力は、聴衆に深い共鳴を与え続けている。評論家、音楽家、聴衆から、力強い才能あるアーティストとして喝采を浴び、ジャズ界ではすでに確固たる地位を築いており、もちろん海外でもその名は知られている。今までに数多くのアルバムをリリースしているが、アメリカとカナダでのレコーディングが多い。

A Great Performer

1990年に最初のアルバム「This Girl」が「ニッポン・クラウン ’91」から初めて世に出た後、チャリートは歌手として脚光を浴び始めた。外国人歌手でニッポン・クラウンから出たアーティストは、彼女が初めてであった。これをきっかけに、様々な活動の場が広がり、続いてリリースしたアルバムはどれも順調に売り上げを伸ばして来た。

「Swing My Way」では、有名な一流ミュージシャン達、ハリー・ウィタカー(kb)、アレックス・ブレイク(b)、ウォレス・ルーニー(tp)との共演。

1992年の「Shades of Love」では、日野晧正の参加、モーリス・ホワイト(アース・ウインド&ファイア)とのデュエットを発表。

1993年の「Love of My Life」では、コーネル・デュプリー(g)、バディー・ウイリアムス(ds)、デイビッド・スピノザ(g)との共演。

この様な経験は、彼女の仕事に格と共に、広がりと深みを与え、今日の音楽界での地位を築き上げる原動力となった。

アーティストとして自分を表現するという意味で、フィリピン人としてのルーツから伝統的なフィリピンのラブソングも二曲加えている。音楽を通じて、母国のより良いイメージを印象づけ、常に母国に対する文化的関心を高めようと努めている。彼女のその努力に対し、フィリピンの日本における旅行部門の宣伝活動を支援してきたことが認められ、フィリピン観光省から「親善大使」の称号も与えられている。

1995年に発表した「Forever More」では、チャリートはもう一度、その才能の新たな面を見せてくれた。このアルバムは、若くて才能のあるニューヨークのミュージシャン達と一緒にプロデュースしたものである。旋律の豊かな声とカリスマ性、否定しようのない存在感で音楽を作りあげている。その比類ない歌声で唱うリズム・アンド・ブルースやソウルの官能的なリズムも楽しめる。強く、美しく、異次元を旅しているかのようである。

この才能あふれるアーティストは、1995年、日本でトランペット奏者の最高峰、日野晧正のグループ「Asian Jazz All Stars」のボーカリストとして共演し、アメリカのシカゴ、ニューヨーク、カナダのオタワ、トロント、モントリオールを回るツアーで、北アメリカの音楽ファンを魅了した。

1996年には同じグループで、韓国、上海、香港、シンガポール、マレーシア、タイ、台湾を回り、最後に横浜で開かれた「Mt. Fuji Jazz Festival」でそのツアー公演の完成を見た。

7月のカナダ、モントリオールでの「Montreal Jazz Festival」では、7万人の大観衆を魅了した。彼女のアルバム、「Forever More」は、カナダとアメリカでリリースされ、世界ランクの歌手であることを示した。

1997年のカナダ・ツアーには「Lost Chart Ensemble」のメンバーとして参加し、6月の「Montreal Jazz Festival」には2回目の出演を果たした。この頃、新しいアルバムも2枚レコーディングした。そのうちの1枚は、スタンダード・ナンバーを集めた「A Time For Love」で、アメリカ、カナダでは1998年6月、日本では1998年7月にリリースされた。

1998年11月には、「Lost Chart Ensemble」のスターボーカリストとして、中国北京での「Beijing Jazz Festival」に出演した後、主要都市(北京、上海、成都、大連)を回るツアーを行った。その後、このグループは、プロモーション・ツアーの一部として、東京で、多くの有名なクラブでショーを行ってもいる。

1999年3月にクラウンレコードからリリースされたアルバム「To The Beat Of Your Heart」は、すべてジュディス・ヘンダーソンとアンドレ・ゲイ作曲のオリジナル曲であり、カナダで制作された。

9月、マレーシア、クアラルンプールのデワン・フィルハーモニック・ペトロナスで、「ASIANA」と共演した。ASIANAは、ジェレミー・モンテイロ(p)率いる、アジア人ミュージシャンが集まり演奏するグループであり、アジアの様々なエスニックな楽器の音を組み合わせ、多様な要素を混ぜ合わせて、即興のジャズを演奏する。

クラシック音楽の弦楽四重奏グループ「Tokyo Y’s Club String Quartet Ensemble」でもゲスト歌手として招かれ、レコーディングも行なった。これは「Tokyo Y’s」という名のアルバムとして、11月11日にクラウンレコードからリリースされた。このユニークで美しいコラボレーションは意味深いコンサートの流れを作った。

2000年は日本以外での活動が際立った。日野晧正により結成された著名なジャズミュージシャン達のグループ、「World Jazz All Stars」のボーカリストとして、韓国ソウルに新しくオープンしたばかりのLGアートセンターの幕開け公演を行い、ワークショップにも参加した。

7月には、シルベイン・ガニョン及びカナダの一流ジャズミュージシャン達と共に「Jazz From Around The World」という国際的なプロジェクトを立ち上げた。これは日本国内の様々な都市で続けてコンサートを行い、東京のカナダ大使館劇場でも特別演奏会を催した。

2001年は、チャリティ活動を始める岐路の年であった。「ビコーズ・ウィ・ケア基金」というボランティア団体を立上げた事である。それは、多くの人々の関心を呼び込む為に、音楽チャリテイ活動をとおして意味のある行動、効果的なプログラムを組み、助けを必要としている人々、特に子供たちを支援する事である。この時以来、毎年様々なチャリテイコンサートを開催し、日本やフィリピンの子供たちへの助力を惜しまない。

2002年、さらに国際的な活動をすべく、ロニー・プラキシコ(b)と彼のニュ―ヨークメンバーと共に香港での公演を行い、さらにブラジル人パウロゴメスと彼のグループとの共演、そして有名なクレイトン・ハミルトン・ジャズオーケストラで特別ゲストとして出演で締めくくった。

また、ニューヨークにてマルグリュー・ミラー(p)、ロニー・プラキシコ(b)、ジェレミー・ペルト(tp)、ルイス・ナッシュ(ds)らと共に大石学(p)をミュージックディレクターに迎え、アルバム「They Say It’s Wonderful」の制作を行った。

2003年、8枚目のアルバム「They Say It’s Wonderful」がリリースされる。「倶知安ジャズフェスティバル2003」を始めとする、全国の多くのジャズフェスティバルにも出演。また併せて上海、ホノルル等海外のライブハウスでも活躍。同時に「NHKセッション505」にも出演、高い評価を得る。またこの年はビッグバンドとの共演を復活させ、名古屋ブルーノート等各地でライブを行なった。

2004年、ブラジル、サンパウロで、ついに念願のイヴァン・リンスを迎え、ブラジルの一流ミュージシャン達と「Non-Stop to Brazil - Charito meets Ivan Lins」を録音。9枚目のアルバムとして発表し、スイングジャーナル誌選定ゴールドディスクに選ばれた。このアルバムは本来のジャズ、ボサノバ、MPBファン以外の新しいファン層からも厚く支持され、セールス的にも成功を収めている。

2005年、「Non-Stop to Brazil – Charito meets Ivan Lins」がスイングジャーナル誌主催第38回(2004年度)ジャズ・ディスク大賞ボーカル賞(国内部門)を受賞した。

東京ビッグサイトでの「東京 JAZZ 2005」では、日本国内や世界中から多くの有名なアーティストたちが夢の共演のために世代や国の違いを越えて一つのステージに集結した。チャリート&ラテンジャズファンク・バンドは、ハイライトの1つとして出演。マーカス・ミラーやイヴァン・リンスらとともに、ハービー・ハンコックのリードによるスーパー・ユニット・セッションにも参加した。

2006年、新作「Nica’s Dream」は、デビッド・マシューズのアレンジと指揮によるマンハッタン・ジャズ・オーケストラ(MJO)との共演で、ニューヨーク・レコーディングという大興奮をもたらした。このアルバムは、ボーカリストとMJOとの初めてのコラボレーションとしての作品となった。

また、「スイング・スイング・スイング!ジャパン・ツアー2006」として日本での初めてのライブ共演をも敢行。ハイライトとなった東京サントリーホールをはじめ、いくつかの公演にゲストとして出演。このアルバムは高い評価を受け、スイングジャーナル7月号選定のゴールドディスクを受賞。

この年、彼女は圧倒的な評価のもと、ドイツのアウクスブルクのアウグスタナホール・ジャズ・シリーズで初めてのコンサートを開いた。またここで彼女は、ダウンタウン・ミュージック・インスティテュート校での上級者向けヴォーカル・ワークショップ講師も勤めた。ドイツはチャリートを温かく迎え、今後のフェスティバルやイベントへの再度の招へいも計画されている。

2007年、「Nica’s Dream」がスイングジャーナル誌主催 第40回(2006年度)ジャズ・ディスク大賞ボーカル賞(国内部門)を受賞。マニラで行なわれた「The Philippine International Jazz & Arts Festival 2007」に出演。フランスでのジャズフェスティバル等にも出演。

11枚目のアルバム「NOW AND ALWAYS」を新ユニットMusic Virusと発表。さらに、ドイツでのコンサートに出演、その後12枚目のアルバムレコーディング制作を、フランスの映画音楽界の巨匠ミシェル・ルグランとロシュフォールとパリにて行なった。12月には「NHKセッション2007」にMusic Virusと出演。

2008年、マニラで第3回「The Philippine International Jazz & Arts Festival 2008」に出演。4月にはロシア・シベリア地方での公演ツアーを敢行。「バイカル・ウェイブ国際ジャズ祭」等のジャズフェスティバル、ジャズクラブに出演。その後、アメリカ・アトランタでの「Atlanta Jazz Festival 2008」などのジャズフェスティバル、ジャズクラブ等にも出演。

12枚目の新作「Watch What Happens~Charito meets Michel Legrand」と題したミシェル・ルグランとの共演アルバムを発表。スイングジャーナル誌選定ゴールドディスクに選ばれる。その後、ドイツ、スイスで12公演、ニューヨークにて4公演のコンサートおよびライブを行った。

2009年、フィリピン、マニラでの第4回「The Philippine International Jazz & Arts Festival 2009」にゲスト出演し、同時にボーカルワークショップも行う。またバレンタインデーにちなみ、全国のスターバックスで「Watch What Happens」のCDをバレンタイン期間限定販売。スターバックス 六本木ミッドタウン店、銀座マロニエ通り店でライブを開催した。

タヒチで行なわれた「Polynesia Music Festival」には、アルバム「Watch What Happens」のレコーディングメンバーであるフランス人のアラン・ブルネ(tp)、アラン・マイヤラ(p)らと共に出演。その後、同じメンバーでCDのプロモーションを兼ねてアメリカ西海岸の著名なライブハウスにも出演した。

今年の2月に引続き、マニラでのチャリティコンサートに出演。その後アメリカ、サンフランシスコでの”Savanna Jazz Club”、”7 Mile House”等に出演。

青森県八戸市での「第20回南郷サマージャズフェスティバル」にドミニク・ファリナッチ(tp)をゲストに迎え出演。

全米のメディア、FM、インターネットで「Watch What Happens」発売記念キャンペーン開始。10月15日全米にて発売。

その後、2週間オーストラリアでの「Jazz A Vienne Sydney Jazz Festival」に出演。同時に、ハービー・メイソンのプロデュースによる次のアルバム制作に取り掛かった。

アメリカ、ロスアンジェレスにて第5回「フィリピンーアメリカ ジャズフェスティバル」に著名なフィリピン人音楽家と共に出演し、主演を務めた。

2010年、カタール政府の文化と芸術省の協力の下、“2010年アラブ文化の都ドーハ“の一部として「東が西と会う時」と題した「ドーハ・ジャズ・フェステイバル」にアラン・ブルネ・カルテットと共に招かれ、ミシェル・ルグランの曲を披露した。

7月7日、ハービー・メイソンのプロデュースによるマイケル・ジャクソンへの追悼アルバム「HEAL THE WORLD」 (2010/CT music) “Charito sings Michael Jackson produced by Harvey Mason”がリリースされた。これはスイングジャーナルのゴールドディスクに選定され、チャリートとして4枚目のゴールドディスクとなり、この栄誉は仕事の上にも新たなレベルアップとなり、限りのない可能性をもたらした。

この年は、シンガポールでのKinestasia Jazz festival, Kanazawa Jazz festival. そしてサンフランシスコでのFilipino-American Jazz Festival、マニラでのHard Rock Cafe Manila、カナダ・バンクーバーJava Jazz、フランス・パリでのSt. Sorlinと数々の公演をこなした。

また、意欲的に青山学院大学が主催する第一回目の「Aoyama Jazz Initiative 2010」に参加し、アマチュア学生とプロのビッグバンドの共演を企画した。

2011年、自身のルーツへの回帰を続ける中、Irene Marcos-Araneta 氏がプロデュースし、Mel Villena氏が率いるフィリピンのトップミュージシャンで構成されるビッグバンドとの初めての共演を行った。また「Philippine International Jazz Fest 2011」に3回目の招待を受けた。

この年、San Francisco Filipino American Jazz Festival 主催によるコンサートで、西海岸の音楽家達Boy Palacio, Eddie Ramirez, Ben Luis, Edwin Santos, Anne Marie Santos, and Jonathan Bautista等と共に率先して参加した。

さらにもう一つのコンサートはロスアンジェレスのThe Promenade at Gano Excelに於いてTateng Katindigトリオをバックに、著名な歌手Mon David,  Louise Reyes等と共にショーを行い、不幸な東日本大震災の後、悲劇の表情の中でも素晴らしい勇気、強さ、それに威厳を見せる日本人の方々の結束の為に、力添えをした。

この時、嬉しい事に、伝説のジャズ音楽家であるHarvey Mason氏がプロデュースしてくれたMichael Jacksonへの追悼アルバム「Heal The World」のアメリカ発売とたまたま重った事だった。

プロモーションを兼ねて、ニューヨークSanta Cruz Music Festival, Brooklyn Jazz Festival と

ジャズクラブで披露する事が出来た。

「TOKYO MOON」 を発売。全曲チャリート自身による作詞で、東洋風なオリジナル曲で固められた。

8月にはフランス Buis Les Baronnies に於いて、「Festival Jazz au Cloitre 2011 St Genis des Fontaines」そして 「Festival Parfum de Jazz 2011」に出演。

その後、マニラ、カルチュラルセンターにて「CCP Jazz Festival」にて主演を務め、再びAMP Big Band と共演した。

その後、再びオーストラリア、シドニーでの「Manly Jazz Festival」それに「Jazz -a-Vienne Sydney Festival」に招かれた。

教育が最優先という考えから、 「Student Jazz Festival in Hamamatsu ’11」に措いては中学、高校生ビッグバンドへ自分の演奏を通して、若い音楽家達を支援した。

教師として、「The 20th Hamamatsu Jazz Week」に措いては “Jazz Workshop”を開催した。はるばるドイツにてDowntown Music Institute校でボーカルワークショップで教え、その後CDリリースのプロモーションツアーでAugsburg Jazz Quartet と共にFreising, AugsburgそれにFriedberg を廻った。

11月、東日本大震災の復旧支援チャリティーコンサート”JAZZ AID Japan”に参加した。

2012年

年頭から、何千人もの台風被害者を助ける為のもう一つの基金を立ち上げる事から始まった。

彼女と彼女のグループが名付けた”LIGHTS OF HOPE – Help Mindanao”は、ジャムセッションにより、多くのミュージシャンや友達からサポートが得られた。

著名な作曲家であり東京シンフォニーオーケストラの指揮者でおられる神津善行先生が主催する「音楽講座」に出演させていただき、大きな成功を収める事が出来た。

同じ月、六本木フランシスカン・チャペルセンターに於いて、教会へジャズを紹介する「FCC Jazz Series」の企画を手助けした。東京で活躍する優れた音楽家達の出演が用意され、宗教を超えて様々な人たちを集める事は素晴らしい限りである。

5月、Tokyo-Manila Jazz & Arts Festivalに措いては、初めてプロデューサー、オーガナイザーを手掛ける事となり、自身にとって大きなステップアップとなった。プロミュージシャンや芸術家の活動を通して、若くて才能のある芸術家たちを養成する事を目的とし、日本とフィリピンの文化交流に焦点を合わせている。その大きな成功は、次回の開催を求めてやまない。

このフェスティバルでは、日本アセアンセンターでの芸術行事等を通して、文化発展の為の新しい扉を開いた。

国立新美術館に於いてのチャリートとそのトリオによる”SUMMER JAZZ CONCERT 2012”と題されたコンサートでは、初めてジャズ音楽が持ち込まれた。

若くて優れたミュージシャン達、Tom Reinbrecht, Matthias Bublath, Peter Cudek, Guido Mayらと共に、ミュンヘンへのジャズツアーをし、その後さらに熟練音楽家達 Alain Brunet, Alain Mayeras, Edouard Bineau, Nicolas Pain and Hidehiko Kaらと共に、パリのジャズツアーをこなした。

陸上自衛隊中央音楽隊とのビッグバンド、クリスマスコンサート共演では、大きな成功を収めた。

新しいCD “Affair To Remember”(CTMusic)がリリースされた。時代を超えたロマンチックなバラードを中心とした曲でまとめられている。ここでは、非凡な才能を持ち、古くからの友人でもあるピアニスト野力奏一と再会している。参加した他のミュージシャン達も同じように高い資質をもった人たちであり、ベースには、坂井紅介、中村健吾。ドラムスはGene Jacksonの面々である。彼らの際立った優雅さと芸術的な成熟さが、このジャズスタンダードのアルバムには醸し出されている。

2013年、マニラ・ポロクラブでの”Joyful Jazz, Tokyo’s Jazz Meeting”に出演した。

その後、新しいCD “Affair to Remember”のプロモーションを兼ねて、サンフランシスコ”Sweet Basil”, “Yoshi’s”それにロスアンジェレス “Catalina’s”に出演した。

5月、東京にて「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival 2013」をプロデュースし、さらにフィリピン・マニラに於いてもその第1回目を開催し、絶賛された。日本とフィリピンのスーパースター達がステージで一同に会し、ジャズの80年の歴史を祝った。

チャリートにとって、二つの文化の懸け橋を作る事が大きな夢であった。

その後、第45回日比谷サマージャズ、第2回Philippines Jazz Festivalに出演。「Jazz Organ Summit Tour」ではシンガポール、バンコック、香港を周り、日本・アセアン友好協力40周年記念公演では、神津善行率いるユニークな六華仙と共に、ラオスVientiane とタイ Chiang Maiを訪れた。

また、台風ヨランダの被災者の為のチャリテイコンサート「JAZZ JAM For Philippines」を企画した。

2014年、マニラにて、この街のジャズ魂を活気付ける情熱でもって、「JAZZ JAMMIN’」に出演した。

フランスでは、音楽家Bruno Bellemin, Jerome Auguste-Charlery, Hidéhiko Kan等と共に、「I Love Paris and Jazz in Marciac」と銘打ったクラブショーにメインゲストで出演した。

「金沢ストリートジャズ2014」、「国立新美術館でのサマージャズコンサート」、「サウンドクルージングミナト」に出演。「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival 2014」を10月マニラで、11月は東京にて開催。「福島ライブミュージックウォークラリー」、中国珠海市、珠海現代音楽機構の招きで「Golden Jazz in Zhuhai」に出演。

2015年、第9回中延ジャズフェスティバルでは、日本の伝説的なジャズメン森山威夫氏、峰孝介氏等と共に出演した。

バンクーバーでのショーのあと、東京とマニラでの「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival 2015」を終えた後、シドニーでの、「Manly Jazz Festival 2015」に3回目の出演を果たした。

「名古屋ストリートジャズ」、国立新美術館での「Autumn Jazz Concert」、「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival 2015」の一環としての、青山学院大学での「青山ジャズ・イニシャティブ2015」に参加。

2016年、

世界各国の音楽、芸術等の紹介により、国際交流の輪を広げる事を目的とした「港区ワールドフェスティバル」に参加し、増上寺にて「ジャズと和」の文化融合の企画を推し進める。

ロスアンジェレスに措いては、Fil-Am音楽家と共に主賓ゲストとして第4回「THE LOVE OF JAZZ」に出演。バンクーバーに措いては、「Java Jazz」14周年記念公演に参加。

「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival」の新しいシリーズのスタートとして、屈強なジャズと若いミュージシャン達との間でジャズ、ポップス、ゴスペルそれにブルースを結びつけて生まれたリズム&ブルースをフィーチュアしたイベントは、7月にモーションブルー横浜にて催された。

今年の後半の楽しみは、最新作「American Gold Standards」の発売。チャリートとピアニストTamir Hendelmanとの出会い。傑出した夢のチームである、ベースJohn Clayton、ドラムスJeff Hamilton、それにゲストとしてギタ―Graham Dechter, フルート Lori Bell,  サックス Rickey Woodard それにトランペット Gilbert Castellanos等を迎えて、アメリカのガーシュイン、バーリン、ポーター、ロジャース、ジョビン他によるスタンダード曲を歌っている。

それにもう一つのマニラ公演予定、それに同じく10月、増上寺での「Tokyo-Manila Jazz & Arts Festival 2016-ジャズと和」の東京公演、その後のカリフォルニアへの特別ライブツアー等が控えている。

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